御祭神
●主祭神 三浦 義意公 幼名 荒次郎
桓武平氏の流れをくむ名族で鎌倉幕府の中核を担い、三浦半島を本拠に相模國を治めた三浦氏の最後の武将。筋骨たくましく八十五人力といわれ、十五歳で官位弾正少弼(従五位下)を賜るなど文武両道に優れた武将として伝えられています。関東制覇を目指す伊勢宗端に攻められ、永正十三(1516)年七月十一日、三浦半島の三崎新井城にて自刃、御年二十一歳の若武者でした。永正十七(1520)年、小田原城主北條氏綱公の強い思いや意向により居神大明神として祀られたと考えられています。令和二(2020)年は創建五百年の節目の年となります。
御祭神の義意公は陸奥守従四位下三浦道寸義同公の嫡子です。また、弟の時綱は安房正木郷に逃れ、その曾孫(於万の方)は徳川家康公との間に、紀伊藩と水戸藩の祖を生みました。八代将軍吉宗公から幕末の慶喜公まで、時綱のながれをくむ人たちにより、受け継がれました。
●木花咲耶姫命
明治四十三年 大窪村『浅間神社』より合祀。大変美しく、天孫瓊瓊杵尊の皇后となられた神様です。良縁、子宝、安産、家庭円満の神として、また、富士山の噴火を鎮められた神として信仰されています。
●火之加具土神
明治四十三年 大窪村『秋葉神社』より合祀。火防、厄除、工業・科学発展の神様として尊崇されています。
(まめちしき)
◇三浦義意公の発給文書(国立公文書館より)

◇当神社が創建された永正十七(1520)年は、小田原城主北條氏綱公が小田原城内や城下を整備した年です。また、同年、氏綱公は当社主祭神の墓所の土地を父三浦道寸ゆかりのお寺に寄進しております。
◇新編相模風土記稿に、居神神社祭礼が大永元年(創建年の翌年)より始まり隔年で行われ、また、神輿巡行には小田原城馬出門での祈祷(城内祈祷)が順路の中に含まれており、その後、青物町、欄干橋町、安斎小路、浜降り祈祷、板橋地蔵堂前に至る、とその順路が記されています。居神神社の神輿巡行が小田原で最初の神輿渡御であったと考えられています。
◇小田原北條氏は東海道をも取り込み、小田原城下の外周を土塁や空堀で囲んで防御する壮大な総構(大外郭)を築いたことで知られていますが、居神神社はその城郭内、すなわち総構の内側にあります。
◇神社入口を進んだ正面一番手前の階段には氏子域の30区青年会により奉納された手すりがあります。その左側一番手前の石には、明治天皇御製が刻まれています。「わがくには 神の末なり神まつる 昔のてぶり 忘るなよゆめ」

◇社務所前には見守りの水屋石があります。これは文化十四年(1817年)に氏子域の板橋邑若者一同より奉納された手水鉢です。

◇現在の手水舎の左側には参道の坂がありますが、その入口には元禄四年(1691年)の銘が刻まれた石灯篭があります。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


